消費者運動「鯨類に感謝 @ Thanks Cetacea」 【くじらの消費者運動】

【鯨類食文化の理解促進】 捕鯨と「いるか漁業」。東京の鯨食人口は1割以上いるとされます。小型鯨類(いるか類)は、岩手、秋田、山形、福島、茨城、千葉、神奈川、静岡、山梨、和歌山、沖縄等の県内の地域での伝統食です。

海豚(小型鯨類)の飼育論争は得か損か? 捕鯨への極めて悪質な叩き映画への反論は得か損か? 水族館飼育や捕獲を肯定する理屈は有るのか?/和歌山県の太地沖で今季7日目の漁の成功\(^o^)/

(一晩で長文のアジ文を書き、本日は漁が成功したので外国団体への証拠収集の作業があり、定期的な海外の情報収集をしてないまずいなどと焦る、という多忙すぎる大衆運動。悪文、乱文乱筆、6000字を超す長文で失礼します。)

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海豚(小型鯨類)の飼育論争は得か損か? 捕鯨への極めて悪質な叩き映画への反論は得か損か? 水族館飼育や捕獲を肯定する理屈は有るのか?

 

太地での鯨捕りの素晴らしい漁を数年間に渡り見てるが…

血の海?おおげさ。1シーズンに僅かな回数しか無い。

この数年間、当方は、太地の鯨捕りの追込み網の漁を、もはや見た回数が正確に計算できないほど見ている。見るのをサボったことは僅かでしかない。

いにしえの昔、天子様(時の天皇陛下)が御幸なされ、海豚が大漁(漁労か大群の漂着か不明)の場面を眺められ、血の海をあわれに思し召しになられている。愛すべき庶民の、その食料調達を天子様が眺められたエピソードであろう。

当方は庶民。食いしん坊の当方は、鯨類の血の海に「おいしさ」すら感じる。血ぬきがしっかりなされたかは、お肉生産の基本だ。

当方は血の海なんてホラー映画で見慣れてる。もう少し言えば、昔の人はいくさでの血の海を見てる。国内のあちこちに古戦場があり、討ち取られた者の遺骸が集団で埋葬された。いくさでは小川や沼が一時、血に染まる。(いくさで水面に血の海を作るには、相当数の死人から大量に出血したはずである。南無三)。

ただし、捕殺シーンを見ても、「おいしさ」を感じる感性の人は現代日本に少ないことは承知してる。

食用スジイルカが大漁だと、過激な反捕鯨シーシェパードが望む流血映像が撮れる。でも年に1-2回あるかどうかでしかない。世間が思っているほどに多くは無い、否、むしろ回数がとても少ない。悪質な映画がイメージだけで製作されているとも考えられる。(叩きたいので、イメージを先行させる策略は、参加者が多い環境保護運動ではしばしおきる現象。)

計算上、捕鯨叩きで悪質な映画のCG(コンピュータグラフィックス)のような「まるで本物の血液のような濃い血の海」を影浦で作るには、血液量がトン単位で必要なはずで、最近の漁法ではスジイルカ百頭ほどの大漁を短い時間で処理しないと作れそうにない。

従って、過激団体のシャッターチャンスは、1-2月のスジイルカ大漁が期待できる時期「のみ」となる。過激な反捕鯨シーシェパードは昨季(2018-2019)、そのシャッターチャンスの時期だけは欠かさず潜伏者を派遣した。同情を得ての寄付目当ての解り易い行動パターンだ。

食用海豚(スジイルカなど)の大漁(大群の捕殺)でなければ、湾が血液で濃く染まらないのは自明だが、漁を叩く外国団体は「そこは内緒にし」、水族館のスターのハンドウイルカが大量に捕殺され湾が血の海とウソを言う。寄付金目当ての団体は事実をゆがませ全くケシカラン。

事実は、水族館のスターのハンドウイルカで、インチキ映画のような濃い血の海が作られたことは、この数年では無い。なぜなら、バンドウイルカは、ほぼ飼育向けに出荷したほうが、売り上げ金額がみこめる上手な商売だからで、かつ、環境保護の観点か、外圧に負けたか、捕獲枠(捕獲の上限頭数)が生産実態ギリギリのラインに設定され、食用を諦めざる得ないから、だ。
ぶっちゃけいうと、ハンドウイルカは、大量に捕獲できる「当たり年」と、そうでない数年とがあり、大量に捕獲できる当たり年は、今の規制では上限が厳しすぎ、もう実現しない。その位に厳しい保護が行われている。

従って、例えば、めっちゃ悪質な映画ザコーヴの宣伝チラシにおいて、ジャンプするハンドウイルカが鍋に入っている合成写真を用いたのは、昔の「設定」でしかなく、今や食用が殆ど無いので全く通用しない。これ以外にも、昔はともかく、今に通用しない「設定」が、捕鯨叩きで悪質な映画ザコーヴにいろいろでてくるが、その検証や漁業の説明は太地側にいまのところは任せたい。*1

 

www.youtube.com

昔々は日本の各地で「イルカ千頭の大漁イエーイ」が稀に発生した。1000頭にもなると、仕留めた獲物の置き場が無く、青空の下、港にずらーっと海豚を並べるしかない。
が、たくさんの捕殺は近年は無い。1回当り食用スジイルカ80頭位までが、一回のお肉生産(お肉需要)の市場規模(肉が数トン)と商売人の経験則があるようで、それ以上は捕殺しても売れない判断(売り切ることが難しい判断)なのだろう。

昔々の「イルカ千頭の大漁イエーイ」とは比べ物にならないほど僅かな捕獲が現在の姿(主に地域の需要と飼育の需要に応えるスタイル)といえる。もちろん、この史実を知る者は、少数派であろう。

https://archive.fo/bYfV7/780083f6b7afdb91dd611fda7fec5aa0ad21b9a3

そもそも、海豚を食用にするより飼育向けに売るだけのほうが捕獲頭数が少ない傾向があり、自然が守られる感覚になるはずで、環境派(動物倫理より地球環境を重視する者)なら認識してもよさそうだが、あいにく映画ザコーヴ(や、それに類するネガティブ情報)で頭が沸騰する原理主義的な倫理派(動物倫理を最重視する者。水族館に反対する原理主義者が主)は多くがイルカ飼育への抗議者なので、環境保護的な話は通じない。この場合、持続可能な捕獲の邪魔でしかない。

 

野生捕獲を肯定する理屈

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簡単に言えば、野生状態と飼育状態を比べればよい。野生状態のほうが酷いなら、飼育は否定されない。例えば、野生状態ではいつも肉食獣に襲われているなら、襲われない環境のほうが、人道上、その個体にはよい場所、とさえ言える。

ただし、どのような捕獲方法でも肯定されるわけでは無い。少し荒っぽい方法で獲物を得る場合は、荒っぽい方法を選択できる理由が必要で、それは、マッコウクジラを手銛でしとめるラマレラ捕鯨などを肯定する「伝統性」や、似たような貧弱な手法の先住民生存捕鯨を肯定する「法的保護の対象の少数民」という理由が存在する。

太地の漁を肯定するには、この要素(「伝統性」、又は、効力が似たもの)が欠かせない素材となる。

日本遺産に、追込み網漁も入ってしまうほどの論拠があればよかった。歴史研究者はもっと掘り下げてほしい。

 

めっちゃ悪質な映画ザコーヴは思い切り無視し、まったく歯牙にかけない反論が必要ではないか?

わざわざ敵の宣伝をする必要はなく、まったく歯牙にかけない説明が必要だ。

めっちゃ悪質な映画ザコーヴへ反論する映画「ビハインド・ザ・コーヴ」(八木景子監督)は、その映画タイトルが映画ザコーヴの存在を前提にする運命で、視聴者の大半が意識せざるを得ない虞が生じる。

水族館叩きの映画は、めっちゃ悪質な映画ザコーヴ以外にも幾つもあり、水族館屋さんや水族館ファン(水族館が大好きな原理主義者)は、全てを相手に闘う、または全てを無視する、または、なにがしかの迎合をする外はない。

当方は闘う選択をしているが、展示施設とは客商売だから、「客の気持ち」を考えながら商売する外はない運命にあり、展示施設には選択肢は余り無い。

 

まずは、イマドキは、若い世代の目線を気にすべきである。それは次の統計にでている。

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捕鯨(食用)をどう思うか、年代別の統計。若い層に理解が得られていない。

捕鯨と同様に海豚漁にも同じ傾向が出ていると推定している。

 

水族館の飼育論争では、和歌山県太地町(漁業者及び捕鯨ファン)は事実上「わき役」

飼育の現場において、資材(展示物)の供給者が主役になることは無い。ほぼ裏方である。

大半の水族館はイメージ商売*2なので、水族館の資材(飼育動物)の確保についての説明は、捕獲者が説明するのではなく、施設事業者が行うのが一番といえる。展示物の購入者が自己の責任で説明しなければ、自己の財産(あるいは自己の職場)が守れないからである。

 

水族館論争において、水族館事業者がうまく説明できない場合に、水族館ファン(ある意味では原理主義者)が手伝うのもありえる。なお、この手伝いは、水族館の利用者(消費者)も「損をする当事者だから」積極的にしてよい。

動物愛護が盛ん過ぎる国での鯨類の飼育論争の裁判では、存亡をかけた水族館事業者だけが弁論で頑張っても、敗北の場合もあるし(もちろん逆に勝訴もある)、もっとひどい場合は、その地の世論(地方世論)をいじられ、鯨類飼育反対の意見で多数派を形成された地域も、動物愛護が盛ん過ぎる国には、出ている。


WAZA-JAZA論争とは何だったのか(太地捕鯨の存亡をかけた論争)

和歌山県の太地捕鯨は水族館論争ではわき役だが、野生捕獲の論争では違い、太地の鯨捕りは当事者。「主役」である。

WAZA-JAZA論争では、10年も粘ってくれたJAZAが、とうとうWAZAの強い圧力に負けた形で「無条件降伏」したのは最近のこと。倫理哲学を前提とした勧善懲悪の論由来の圧力に対し、赤の他人(動物園など)が、自身の商売(評判)にも関わるのに、海豚供給が無いと経営が厳しい仲間のため10年粘り、仲間に新しい道への模索の時間を与えた友情に敬意を表したい。(太地の経営も有能な筈だから10年で新たな顧客は開拓できたと考えている。)


食はみんなのもの。みんなで応援したいもの。

ぶっちゃけいうと、太地論争に政治団体等(ないし、一つの政治的な立場の代弁者)が登場すると、政治団体が応援する立場(捕鯨業)のイメージが若干悪くなる場合があるが、その程度の「ささいな印象」はウヨサヨ論争が好きな人には「時事ネタ」だろうが、政治を利用するだけの一般市民(多数派)には「ささいなこと」でしかない。それはさておき、ホラー映画ではあるまいし公開の流血映像は、イマドキの若者にはウケないのは自明なこと。イマドキの若者は、死と隣り合わせではなく、スーパーのお肉の切り身を見ても尊い命を連想することが無い生活を生まれつきしている。流血画像でカルチャーショックを受ける場合もあり、カルチャーショックの第一印象で反対の心証を持ちやすいだろう。←これが過激な動物愛護運動(急進的な環境思想の原理主義者)が期待する流れ。

 

大半の水族館はイメージ商売。大半のイルカ飼育施設もイメージ商売。

むかし、シーシェパード並みの原理主義者らに叩かれていた中米にあるイルカ飼育施設へ簡単な応援メッセージをツイートしたら、当アカウントはその施設から即座にブロックされた。理由は不明だが、イルカ飼育もイメージ商売なので仕方がないだろう。⇒この施設(のツイッターを書く人物)の立場から見ると、捕鯨のイメージはその国では最悪だから、当方の投稿は応援ではなく、「客商売の都合上」迷惑なのだろう。この手の施設は今も反対運動の標的。反対運動が更に燃え盛るスキャンダルは困るのだろう。

(しかしながら、その手の施設を叩く者の一例では、反対の首謀者は、数か月前(2018年)にローストビーフ(牛肉)を美味しいと食べたことをインターネットで公表(いわゆる「飯テロ」)しつつ、何年も海豚施設の反対(デモなど)をする非倫理者なことも知っている。)

 

 

日本とは事情がかなり違うロシアの例をだして恐縮だが、飼育や捕獲は気を使う作業

日本側の反論は、若手の世代向けにはうまくいってないと考えている。


捕鯨論争の本丸は、もちろん「捕鯨砲で鯨類を食用とする作業」であるが、この説明を学者の森下丈二さんをはじめに多くの知識人が多数の機会にしておられるにも関わらず、若手の世代の心は離れてしまう傾向が、先に示した通りある。

ロシア(旧ソ連)はかつては鯨油オンリーの捕鯨*3で、かつ、辺境地での先住民生存捕鯨を有する国だが、最近発生した「クジラ監獄(海豚監獄)」の事案(シャチとシロイルカの出荷の中継基地が、標的になった)では、鯨類にしては多数の、100万筆を超える署名を集めた。

その署名サイトは、鯨類の署名は集まりが悪い傾向があり、ぶっちゃけ、聞いたことも無い地でのゾウさんの虐待のほうが捕鯨関連よりも反対署名を集める、少し傾向が変な口コミサイトだが、ロシアの「クジラ監獄」に反対署名が集中した原因は、

  1. 規制を無視した違法捕獲
  2. 飼育動物に病気が流行り死亡し頭数が徐々に減る過酷さ
  3. その地は流氷が押し寄せる海辺
  4. いけすに詰め込み過ぎ

という、お涙頂戴にピッタリすぎるロシアンルーレットさかげんのところに、ロシア国内の団体グリーンピースまで反対声明を出して環境派(動物倫理より地球環境を重視)を煽ったので、世界各地の動物愛護的な怒りと、ロシア国内の環境派の怒りが加味された格好となった。

この例は、飼育向けの出荷には気を使わねばならない例と言えるが、もともと生息数が少ないシャチをまとまった頭数捕まえると、環境派が怒る例ともいえる。(当方は、GPは環境派が主だと考えている。)

もっとも、和歌山県の太地は、

  • 氷の海ではなく、
  • 高い馴致技術で生存率が高く(馴致成績が良い)、
  • 違法ではなく規制はかなり尊守され、
  • 病気が発生するほどの詰め込み過ぎでもなく、
  • 無口な人たちが漁をしており、

ロシアンルーレットの国とは雲泥の差があると考えている。

 

いま太地に攻め込んでいるデモ隊は、日本人動物活動家が友達を集めただけにすぎない

今年9/1の海豚漁への抗議デモは動員31人だった。横ばいと言える。チンドン屋(デモ隊)よりもチンドン屋めあての見物人のほうが多い気がする。

デモの首謀者クラスは、アニマルライツ大阪とアニマルライツ中部。アニマルライツ京都もいる。東京からの出張組もいるが、これらは、AR大阪の者(首謀者の1人)の「友達」が集まったにすぎない。

デモ隊の首謀者(AR大阪の者)は数年前に動物愛護の活動を開始した。いまや有名人だが、デモ隊に人集めできているのは、首謀者が、各地の動物愛護デモにこまめに参加し知人・友達を作り、自身のメイン業務である海豚漁反対デモに呼ぶという友達関係があるからである。

従って、従来通り、デモを無視する方針が通用する。マスコミが一切報道をしない姿勢は、たいへんありがたい。マスコミには、今後とも、南紀や太地の観光振興に寄与して戴きたい。

 

イルカ捕獲が肯定される理屈を展開しても、効果があるかわからない

目的が、活動家の増加を防ぐことと、漁への反対の増加を防ぐことの2つがあるはずだが、
海豚を飼育して善いか否かの論争は、昔からある。また、当事者である各館・各施設はめいめいの考えを持っていると考えられる。

鯨類の追込み網漁(特定の捕獲方法)から飼育動物を得て良いか否かは、当事者の太地の鯨捕りや、鯨類の科学者には、若手の目を意識した説明は難しいかもしれない。また、哲学研究者が、漁を肯定しようにも、斬新な論理を構成するのは困難だとみている。

 

政治的なスローガンの連呼は、その立場の者しか得をしないもので、かつ、逆の立場が不愉快に思いやすいものだが、政治的なスローガンの連呼に終始するなら、何もしないほうがよい場合もある。捕獲は政治ではなく、生活だから。

 

当方は、太地側の説明にとても納得し、かつ、小型鯨類は自然保護としてはそれほど保護に値する動物ではないこともよく知っている。

問題は、捕獲の理論化が、いまだ開発されていないこと。もうできないのではないか。

理論という道具が無いままで説明を行えば、敵から見れば、ツッコミの機会を得たという「敵失」とみなされる場合もあり、逆に、映画「ビハインド・ザ・コーヴ」のように説明が大衆にウケれば、時間稼ぎに大いに用いることもできる。

得するか、損するかは、何が用意できるかに、かかっている。したがって、呼びかけることだけなら存分に行えば宜しい。

 

2019年9月16日、和歌山県太地町沖の鯨類の追込み網漁は、今季7日目の漁の成功日となりました\(^o^)/

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2019年9月16日、今季の7日目の漁の成功です。\(^o^)/

海が荒れて数日ほど出漁できないなどあり、9月10日以来の成功日となりました。

(応援メッセージ)

 

*1:世の中には説明の達人がいるもので、長年、過激な動物愛護運動を見続け、海豚漁についても様々な見解を知っている当方にさえ、太地の事情通は上手に説明することができ、当方を味方につけることができる。その説明をそのまま書き記してもよいのだが、それでは「他人の力作のパクリ」でしかなく、太地側が説明するのが望ましいであろう。太地側が、当方が納得する説明ができたので、当方は信頼することにし、インターネット上の自警団の作業を手伝うまでになった経緯が有る。

*2:ここでいう「イメージ商売」とは、「顧客が商品へ自由に肯定的なイメージを持ち、その自由な夢のまま商品を購入する動機になる商売」と、この場限りの定義をする。

*3:一部の鯨油は、軍事物資として使用されるので、なかなかやめられない