消費者運動「鯨類に感謝 @ Thanks Cetacea」 【くじらの消費者運動】

【鯨類食文化の理解促進】 捕鯨と「いるか漁業」。東京の鯨食人口は1割以上いるとされます。小型鯨類(いるか類)は、岩手、秋田、山形、福島、茨城、千葉、神奈川、静岡、山梨、和歌山、沖縄等の県内の地域での伝統食です。

水産庁さん、「定置網の混獲イルカ」は水族館で保護してもいいんじゃない??? 改訂1版

(改訂1版 20190926版:問題点を明確にするために、脚注を2つ書きました。脚注はページの下から探すと見つけやすいです。20190926-0700)

 

水産庁さん、「定置網の混獲イルカ」は水族館で保護してもいいんじゃない???⇒単独での野生生活は過酷そのものだから。


(以下の文章は、当方の「自然観」や「野生と飼育との比較の感覚」から発せられる「よびかけ」です。当方は自身の消費者運動を語るのみであります。)

 

前置き)野生生活とは過酷:野生生活とは、飼育に比べリスクが高い生活です

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シャチに見つかったら、全力疾走で逃げるしかないのが、小型鯨類(イルカ)です。野生生活は危険(リスク)が一杯です。



野生生活のハイリスクについて

以下のブログ記事に、簡単にまとめてありますが、野生生活とは、人為が得られる飼育生活に比べ、リスクがあります。

irukanigohan.hatenablog.com

上記の要旨は、怪我や病気のハイリスク、長距離移動や肉食動物のリスク、気候変動の影響や環境汚染の影響のリスクなど、飼育により人為が得られる環境に比べれば、野生下は遙かに過酷です。大半の人類が、野生生活は(めんどうくさく、かつ、おそろしいので)したくないはずです。

 

動物の飼育全般については以下も参考に。

野生下では、怪我と病気(野生下で怪我をすれば致死率が高く、疫病の蔓延もある)、厳しい天候(異常気象、酷暑、冷夏、暖冬、長雨、干ばつなど)、飢餓(水と食糧不足が慢性的に起こる地域まである)、長距離の移動、不慮の事故(樹木からの滑落死。例えば崖に棲むヤギ類の転落死はよくある。)、肉食動物・危険生物、冬眠・夏眠、縄張り争い・序列・共食い、仔の低い生存率、狩猟・駆除、環境汚染・生息地減少などがあり、人為が得られる動物園に比べ遙かに過酷である。

 

ja.wikipedia.org

 

野生(大自然)とは、いつ戦場や修羅場になるか解らないところです。
人類の大半が、野生生活を捨て去ったのを見てもわかる通り、野生生活は過酷といえます。


はぐれた個体を保護しないのは人道に反するかもしれない

野生イルカは群れで生きる動物です

基本的に、海豚種(小型鯨類)は自然界の一員として存在して戴かねばなりません。しかし、それは「群れ」が必要なだけです。「はぐれた個体」までが必ずしも必要といえない筈です。

イルカは群れで生活する動物です。群れることにより「種として生き延びることができる動物」と言い換えてもよいです。

群れていないイルカ個体は、当然ながら生存率が下がります。大自然では独りでは生き難いものです。

サメに襲われたイルカ個体を治療のために保護できるのと同じように、イルカが定置網などで「完全に個として切り離されたとみなせる場合は、保護者がいない子を保護する福祉があるように、「迷子」として保護することができる」はずです。

(もちろん現在の水族館の在り方に何の問題点も存在しないわけではありませんが、その動物福祉について、生産者が顧客(水族館)の商売に口を出すのは、筋から言えば「おかしな話」です。)

 

「混獲」は、人類が食べ物を得るために避けられない宿命です

(「混獲」について語る以前に、漁業自体を問題視するごく一部の向きもありますが、それの回答である「持続可能な漁業が、人類の未来のために善い行い」である説明は別の機会に譲ります。)

 

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定置網などに目的の獲物以外の獲物が入り込むことを「混獲」といいます。
そしてよく知られるように、鯨類も混獲されます。話題になるのは、大きなクジラが捕れた場合でしょうか。また、イルカ(小型鯨類)も混獲されます。これは人類が生きるための尊い犠牲です。

イルカが生きたまま混獲された場合、「迷子」という状態が生じます。ここで言う「迷子」とは、そのイルカの元の群れ(家族や友達など)がどこにいるか全くわからない状態(したがって、元に戻せない状態)を、この場では指しています。

豊かな海にはイルカも沢山いることになりますから、イルカが沢山いれば、「混獲」は発生します。ゼロにするのは現代の技術では不可能です。従って尊い犠牲となります。

 

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一方、当然ながら鯨類も食品(商品)です。定置網をする地域の中には、伝統的に鯨類も得ることを期待した(している)地域もあります。定置網で鯨類をも生活の糧とすることは、伝統的な価値観です。

定置網へ鯨類が入ることを期待する地域の場合、鯨類が捕れたら、それは混獲ではなく、「定置網の対象の獲物」という認識が、伝統的な価値観です。この伝統的な認識は忘れられがちですが、今となっては「貴重な地域文化」です。

 

定置網で得られた鯨類は、漁業者の生活の糧として、食品となり、各位の食卓に上ります。未冷凍の鯨肉が楽しめるからです。混獲の鯨肉は、IWC国際捕鯨委員会に沿岸ミンククジラ捕鯨が規制されていた時代には貴重でした。

(余談ですが、定置網での鯨肉は、狙って捕獲しているわけでは無く偶然とれる産物ですので、むかしから商品としては当たり外れがあり、外れのときの飲食店はぶーぶー言ったりします。)


今の日本の統治で、一部の鯨食文化を消えてしまいました

定置網は鯨類も獲物なのに…

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今の日本国の統治では、鯨類が定置網に入ったらできるだけ助けることを求めているようです。この場合の助けるとは、要するに、海に帰れるようにしてあげることです。(一部の鯨類の頭数が持続可能に利用できないほど減ったので)鯨類をできるだけ助けてあげる方向性のようです。

 

鯨類の混獲で完全に助けることは不可能ですが、しかし、混獲死は少数しか発生しませんので、特に絶滅が懸念される一部の鯨種を除き、鯨種の持続可能性に影響を与えることはまずありません。

前述した通り、地方には定置網に鯨類が入ることを伝統的に期待する地もありますが、規制ではすべて混獲とみなされるので、規制の手前、助けられる混獲は救わねばならなくなっています。*1

 

これはおかしなことです。なぜなら、そこに持続可能と言える捕獲もあるからです。持続可能なら、漁業者は獲物を得ることが出来る筈です。(もちろん、鯨類には、絶滅が危惧される鯨種もありますから、絶滅危惧種のみは行政が厳しく管理することは間違った方策ではありません。)

地方の文化を無視し、持続可能に利用できる獲物を統一して規制する(禁じる)のは、「多数派が少数派の文化を理解せず、潰す行為」ですので、異文化からの侵略(文化帝国主義)に似ています。

 

漂着した鯨類が利用されなくなった…

鯨類の利用に関し、中央が地方の食を滅ぼした例に「漂着した鯨類の利用」もあります。

 

鯨類は食品です。むかしは鯨類が漂着すると、包丁とバケツを持参し鯨類のお肉を得た住民(少なくない人数)のいる地域がありました。こういった人々は高度成長の間にもおられました。ところが、食品利用に関して様々なネガティブ情報が飛び出すことにより、実行者が著しく減り、すっかり「漂着した鯨類への食文化」が滅びました。それどころか、むかしは、生きている海豚(いるか)が漂着すると、住民などの発見者が棒切れなどで絶命させ、お肉を得た地域もありましたが、この狩猟行為もさまざまな要因で滅び、今では、犯罪と同じ目で見られてしまいます。*2

 

日本の統治はなんかヘン:許可された者の持続可能な捕獲が違法扱い???

助けられる状態のイルカは、たとえ捕獲枠を持った者であっても、自身の所有物としてはならず、海に放すこととなっています。しかしそれは、鯨類個体の利益を考えねばなりません。

昔、こういう噂話がありました。

ある日、伝統的な捕鯨地で、イルカ1頭が定置網にかかりました。かかった鯨類はぴんぴん生きていたので、その鯨種の捕獲枠(捕獲できる上限頭数)の許可を得ている漁業者が獲物として確保し、自身の生け簀(いけす)に移しました。それをある動物団体が見ており役所に通報しました。役所は定められた漁法(追込み網漁)ではないから不許可としたようで、イルカは一頭だけで海に放流されたようです。

この「不許可」が事実だとしたら、はたして正しいのか、当方には大いに疑問があります。

事実だとしたら、いったい、この不許可は「誰が得をする」のでしょう?

 

イルカ個体は、定置網に混獲されている状態ですから「はぐれていると疑える状態」ですし、その後、何日か「保護」されており、完全に元の群れ(家族や友達)から完全にはぐれています。

群れからはぐれたイルカ個体は、放流されても、新しい群れに入れてもらえる間まで単独行の生活が待っています。(それに、新しい群れを見つけても、必ず「なじむ」わけではありません。)

イルカの単独行はリスクが高く、生存率が低い状態です。したがって、放流とはそのイルカ個体の「生涯最大のピンチのひとつ」かもしれません。

生涯最大のピンチを味わうよりも「保護」されているほうが、イルカ個体にとっては大いに得なはずです。

 

イルカ個体にとって余計な通報をした動物団体は、残虐なことに、不許可イルカ個体の命の危険(リスク)は「どうでもよい」のが実態なのでしょう。不許可イルカ個体から見れば、この動物団体は、動物個体の代弁者ではなく「余計なことをする悪魔そのもの」かもしれません。
そして役所が悪魔の指図で裁量を決したのならば、それは「悪法でも法だから従え」ということを表現してしまっているかもしれません。

これはヘンな統治ではないでしょうか?


子育て中以外は単独で行動する大きなクジラなら、定置網から出してあげただけで、その後、生きていける可能性は(いるかに比べ)大きいです。もともと大きなクジラは単独行で生活する場合があるので、(いるかに比べ)生き延びれる可能性が大きいでしょう。

一方、小さなクジラ(イルカ:小型鯨類)は基本的には群れで暮らす動物なので、群れからはぐれた単独行動は必ずしも幸せではなく、「野生の危険に滅ぼされてしまう虞が、群れでいる状態よりも大きい状態」です。(肉食獣に簡単に食べられたり、魚の群れが見つけられず死んだり、などのリスクがあるのです。)

単独行動のイルカ個体が、その後、死ぬか生きるかの未来は誰にも解らないのですが、定置網に入り込んだ群れの一員を心配する「群れ」(家族や友達)が付近に居ないと想定できる場合、「群れに見捨てられ一頭だけがはぐれた」(命の危険が高い状態)と考えたほうがいいのではないでしょうか。

野生の危険(リスク)は、知られていないだけで、前述のようにさまざまあります。

 

本題:定置網の混獲イルカは、群れ(家族や友達)からはぐれている場合は保護したほうがいい

さて本題です。

東北の水族館Aが、定置網に入り込んでしまったイルカ個体を保護しておられます。立派なことです。

当方は、当然ながら、定置網の混獲イルカは「迷子」であり、単独行はイルカにとってはリスクが高く、水族館が「保護」したほうがマシと考えています。

元・定置網イルカは、東北のイルカ研究の海水浴場の一角を借りた広々とした生け簀にも配属され住んでいます。

 

イルカを野生に戻すといっても、その作業手順は単純かつ研究不足の感があります。

「何らかの群れ(家族でも友達でも無い)を見つけ、それに合わせイルカ個体を放流すれば、イルカ個体は必ずその群れに入る「筈」というシロモノで、海の中ではケンカが無いファンタジーの世界であるかのような“まゆつばな推論”が用いられます」が、イルカ個体が群れに入れない(なじめない)可能性もあります。ぶっちゃけいうと、いじめられちゃうかもしれませんし、場合によっては(群れの中の争いで)殺されるかもしれません。

 

こういった場合は、飼育のほうが優れているのは言うまでもありません。

 

ただ、混獲による野生捕獲での飼育を法的に認めてしまうと、飼育向けイルカを捕獲する地(漁業者)の売り上げが得られないこともありえます。

「飼育者は、自身の業に必要な個体は、業者(動物商)から得なさい」(出所をはっきりさせること)という政策もありえますが、一方、野生で困っている動物を助けるのも飼育者に生じる倫理感です。この動物愛(動物福祉)を一切、否定するのはいかがなものであろうと認識しております。

 

www.kahoku.co.jp

www.asahi.com

*1: (改訂1版で加筆しました)

定置網でとれた鯨類は、すべて混獲(自然に網に入ったもの)という‘’新発想‘’が表現されている規制が、こちらです。

漁獲物を追い込むものは通常の定置網の操業とはいえません。したがって、追い込んで捕獲した場合には、省令違反となる可能性があります。また、定置網の運動場で泳いでいるミンク鯨は、自然の状態では、網の外にでていく可能性があります。いずれにしても、追い込んだり、誘導したりして捕獲してはいけません。

 

( 「鯨類(いるか等小型鯨類を含む)の捕獲混獲等の取扱いQ&A:水産庁」 )

ここでヘンなのが、定置網(の「運動部」)に入った鯨類を「獲物を捕まえる場所(箱網)」に追い込んでいいか(規制では不可)です。定置網の「運動部」や「箱網」とは、「相模湾の定置網(ていちあみ)漁業:神奈川県ホームページ」 にも解り易い構造図が示されていますが、定置網に獲物が入ったのに、「運動部」では網の外に出れる可能性がまだあるので、混獲とはいえず、捕獲作業を一切してはならない(獲物が欲しければずっと待っていなさい)という規制となっております。手に入っている獲物なのだけど、規制上は「まだ手に入った獲物ではない」というおかしな想定となっています。昔と違い、規制では、定置網では、追込み作業を一切してはならないからです。日本の過去の歴史において、定置網の運動部に入った鯨類を、鯨類を捕獲したい漁業者でさえ待っていたものでしょうか。

*2: (改訂1版で加筆しました)

ネガティブ情報としては例えば、漂着の鯨を食べたから中毒死したとするものですが、傷んだ肉を(刺身で)生食したから死亡したのに、漂着した鯨類が危険があるかのようにミスリードしたものがあります。

集団座礁するような鯨類については、異常な行動であり、疾病などの理由も考えられ、健全な鯨類とは考えられません。したがって、鮮度がよくても、食品衛生上の観点から問題点も多く、食用にすることは適当ではありません。したがって、販売も行わないようにしてください。(4月1日から)

 

( 「鯨類(いるか等小型鯨類を含む)の捕獲混獲等の取扱いQ&A:水産庁」 )

販売は管理が完全にできませんから困難なのは理解できますが、「食用にすることは適当ではありません」とはなにごとでしょう。我が国では、漂着鯨の利用をずっとしてきたものですが、急に危険になったのでしょうか。現代では家庭への冷蔵庫の普及で、鯨肉の生食がし易くなり、自分で捕った漂着鯨類をやみくもに生食する状況判断ができない者が登場している状況もありますが、もともと食料である漂着鯨類のお肉を食料ではないとみなすのは、ヘンな統治です。ちょうど動物団体がこの件で騒いでいた時期ですから、役所が動物団体の圧力に負けたのでは?と勘ぐることもできます。しかし、動物団体は「ほぼ確実に」消費者(厳密には、「鯨類の利用者」)ではなく、当事者ではない者の意見のみが重視されたという統治の正当性すら問われかねない事態です。