消費者運動「鯨類に感謝 @ Thanks Cetacea」 【くじらの消費者運動】

【鯨類食文化の理解促進】 捕鯨と「いるか漁業」。東京の鯨食人口は1割以上いるとされます。小型鯨類(いるか類)は、岩手、秋田、山形、福島、茨城、千葉、神奈川、静岡、山梨、和歌山、沖縄等の県内の地域での伝統食です。

沖縄・糸満ハーレーのアヒル取り競争へ急進的な動物活動家20-30人が押し掛け派手に嫌がらせした件が文化帝国主義??? 遅かれ早かれ、文化帝国主義への批判では大衆の心がつかめない未来が見えています。

当方は、鯨類の消費者運動をしていますから、運動の定義が存在しますが、

「現に存在する、反捕鯨国の政府が仕掛ける捕鯨への圧力(外圧)と、反捕鯨団体が仕掛ける大衆扇動などへの防御(国防)のための抵抗運動(消費者運動)」とする、基本的な定義を変える程ではありません。

 

 

学校や報道で動物愛護が言われてきている昨今ですが、そろそろ、文化帝国主義への批判では、遅かれ早かれ、大衆の心がつかめない未来が見えてきています。


そろそろ文化帝国主義への批判が通用しなくなるのは、次の事例でわかります。

 

沖縄糸満ハーレーと、アヒル取り競争とは

ヒル取り競争を含め、伝統的な文化と考えられています。

web.archive.org

web.archive.org

以下は、今年の動画2件です

www.youtube.com

rutube.ru

ヒル取り大会は、地域では支持されています。支持されていなかったなら、開催されていませんよね。なお、アヒルはあとでいただく人もおられるようです。現地では歴史的に、アヒルもごはんだからです。*1

 

沖縄糸満ハーレーの余興のアヒルつかみ取り大会へ急進的な動物活動家20-30人が押し掛け、嫌がらせの反対運動をした件が「文化帝国主義」???

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2019年、アヒル取り競争の競技する最中、動物活動家が会場内に「巨大な看板」を流しました。お祭り参加者のやる気をそぐ「嫌がらせ」です。活動家は、会場内に動物屠殺の血だらけ写真(アヒル取り競争に無関係な写真)をなぜか掲示したり、会場内で拡声器で大声で「嫌がらせ」の演説をし続けるなど、お祭りをぶち壊す気まんまんでした(要求が「アヒル捕り大会の中止」です)。そして、活動家らは何羽かのアヒルを購入し去りました。お祭りへの嫌がらせは、東京の弁護士(内地の人)が沖縄に来て首謀しております。

 

ヒル捕り大会への嫌がらせの現場に、1人の国内在住の外国人(英国出身?の在住者)がおりました。その人物は幾らかの知名度があり、したがって論敵も多いとみられますが、その1人の外国人(?)にだけ「文化帝国主義!」と批判する者がありました。これはいかがなものかだろうと、そろそろ疑問になっております。認識を間違えていないかと。

「文化帝国主義」と批判する人物は、狩猟とその食文化の本を書いている人物なので、当方は更に困惑しました。この嫌がらせの襲撃の事案を「文化帝国主義」にみせかけることはできますけれども、厳密に言うと「文化帝国主義」と違うからです。そもそも、今回の騒動の、動物活動家のグループ中の1人の外国人(?)以外は、皆が日本人(島の人も和人もいます)だからです。

 

現場には急進的な動物活動家の日本人が20-30人いました。その外国人(?)は渡航者ではなく在住者ですが、婚姻相手が日本人ですので在住できる状態と考えられます。ただし、日本国籍か否かではその市民活動を批判できませんし、人物の容姿で判断し「文化帝国主義」と言ってしまうと、日本国憲法に禁止された差別にも抵触しそうです。

 

急進的な動物活動家どもが「動物愛護思想を無理やり適用させよう」とする行動は、批判に大いに値しますが、動物解放論や反種差別論など学問的・学術的な哲学研究論に対しては、「文化帝国主義」もくそも無く、その論を支持するか否かでしかなく、日本でも世界でも、支持しない派が多数派を形成する論点が存在しています。例えば、畜産動物を食べることです。

 

「文化帝国主義」発言の人は、哲学研究論を支持しないついでに、極右顔負けの外国人排斥をしている虞があります。この立場では遅かれ早かれ論破されますので、「文化帝国主義」批判ではなく、「この件では、Aの立場が多数派だから、民主主義の手続き通り、多数派の意見が優先されるべきである」という歴然たる事実のみが正しいのであろうと考えています。

 

発言の人物は、狩猟文化の本を書いた人物ですが、極右が嫌いな立場のようです。でも、ご自身の発言は、極右(排外主義)顔負けです*2。矛盾が大きいのが、現代人の在り方でもありますが、嫌いな立場と同じことを言うしかないのが、この論争なのかもしれません。でも日本でこれでは、その立場は徐々に支持を失ってしまう虞(または傾向)が生じます。

 

たった1人の外国人(?)に対し「文化帝国主義」批判ではさすがにおかしいので、発言者に少し話しかけてみると、当方と喧嘩状態となり、「(捕鯨論争は)守るべきものの切り取り方を間違えているのだあ」と捨て台詞をし、消えていきました。

 

「守るべきもの」と言っても、沖縄糸満ハーレーの余興のアヒルつかみ取りの大会を、どう守れるでしょうか。急進的な動物活動家の手にかかれば、地域の文化は、仮にそれが文化財文化遺産であっても、標的となり、マニュアル通りの戦法で攻撃されて民意をいじくられるので、守れそうになく、遅かれ早かれという闘いが待つだけです。対象がアヒルなので、今の時点では、それほど同情を買うことはないことが、唯一の救いかもしれません。この競争への参加者のうち、若手は中学生、高校生なので、祭りを妨害に来た動物活動家の呼びかけや買い取り、女性活動家の泣き落としで、「もう二度としません」と述べたりし、考えを変えてしまいがちです。世界各地で、本物の動物を使わずに、ニセモノ(代替)に置き換えてしまいつつあります。

なぜ動物愛護思想に負けてしまうのか。それは哲学原理として用意され、一部の大衆にウケるから。そして、これに対抗する新哲学がなく、一敗地にまみれる。

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「守るべきものの切り取り方を間違えている」論は、まるで新しい原理原則を作れそうな口ぶりでしたので、敗戦寸前でも日本軍の勝利を信じていた向きに似たものに見えてしまい滑稽だったのですが、動物解放論等の倫理哲学との戦いは半世紀ほど続いており、世界でも日本でも残念ながら負け続けております。

負け方を簡単に言うと、従来の考え方では若者の心を捕らえられず、動物にも気を配る考えのほうが「なびきやすい傾向」が利用され、論争をすればするほど文化を維持する側に不利な世論が形成されていき、そして新しい法ができるなどの措置が取られ、負けています。

哲学に勝てないから困っているのです。視点を変えればいいんだ論は、半世紀の議論の間に試みられているかもしれません。

こういう場合、頼りになるのは、事実上、「頑固おやじ」(女性含む)のみとなります。そして一国でローカルルールを敷くのが、抵抗運動の関の山となるでしょう。もちろん、そのローカルルールものちに、急進的な動物活動家により世論をいじられ、遅かれ早かれ打ち壊される運命が待つかも知れませんが、やらないよりはマシな防波堤となります。

 

およそ50年経ても、哲学に対抗できる新哲学は未だできそうにない情勢です。

一方、既に知られている動物哲学は、(教育などで)拡散してしまうものなので、「文化帝国主義」と言う人が徐々に負け組となる虞が十分にあります。残念ながら、現在の作業は、負け組となるのを遅らせるための時間稼ぎの策をしている状態です。


捕鯨については、有効な対抗策は「持続可能性」

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持続可能な捕獲(野生の持続可能な利用)は、「我が国では」動物解放論など動物哲学に対抗できています。また、どの命も一回限り、という厳然たる事実*3も、「我が国では」動物哲学に対抗できています。

 

従って、
『持続可能な現代捕鯨は、持続不可能な農業よりも地球環境に配慮されている。また、鯨類は体が大きいので、鯨食は、農業よりも犠牲となる命が少ない場合がある』という考えは、今でも通用する最先端の反論と考えています。

*1:沖縄の「アヒル汁」の例

fushinuya-uchi.com

*2:スペインでは闘牛が文化として現存していますが、国際的な批判が激しいこともしられております。これを受けて、最近のスペインの極右政党(極右政党と報道が紹介する政党)は、「闘牛を守れ運動」をしているようです。批判が大きくなり、国際的な批判に発展すると、それに呼応し愛国者が立ち上がるという具合になっているようです。

*3:これを仏教観と言う人もいるのですが、もちろん仏教の国なので仏教由来ですが、現代的な感性に昇華されています。即ち、「農業は人類の大多数に必要なシステムですが、同時に地球環境には迷惑な産業であることも認識しなければなりません。開墾は環境と自然界を激変させる場合が多いですし、また、開墾および農地の維持、そして農作業は、チンパンジー、オランウータン、ゴリラなど類人猿をはじめ、ゾウやクマなど賢い動物群、生息地が大きかったライオンやトラ、多くの野生牛など哺乳類(日本列島だけで言えば、クマ、イノシシ、シカ、タヌキ、ウサギ、ネズミ、モグラなど)をはじめ、賢いカラスなど鳥類、両生類、魚類および水棲動物、そして爬虫類を殺生しています。また、例えば、オーストラリア大陸では、年間200万頭ほどのカンガルーを間引きで殺生し、また、豪大陸ではノウサギを数年ごとに億単位で駆除しなければなりません。」▼農業は命の犠牲ががめっちゃ多すぎて、作物に感謝するほかはありません。搾取しか気にしない向きも、特に動物活動家は、自分の食卓の「見えない犠牲」を考えてみてもいいのではないかしら。